ずっとあなたに逢いたくて④
2010/01/06 21:52:45
一応完結。閻魔と鬼男の交わした約束。
ずっと傍に、なんて望んじゃいけない。どんなに辛くても、これが選んだ道なんだ。
「はぁ…」
思わず重いため息が出る。鬼男は全身の力を抜いてそのまま机に突っ伏した。
午前の授業は、結局ぼんやりしたまま過ごしてしまった。
何かがずっと胸に引っかかっているのに、それを探ろうとすると頭痛がして。誰かに思い出さないでくれと引き止められているようだ。
「思い出さないほうがいいってことかなぁ…」
以前曽良に太子と妹子のことを尋ねられたときに言った自分の言葉を思い出す。
何かが足りないという感覚があっても、それそのものに出逢うことはまずないから代替品を探して人は生きていく。
自分で言っておきながら、今の鬼男はその足りない何かが気になって仕方なかった。
「でも…独りでいるって、寂しいだろ…」
妹子に逢うまでの太子は、本当に寂しそうだった。いつもそこにあったものが無くて、求めているのに見つからなくて。ずっと待ち続けて、捜し求めて、ようやく出逢ったそのときの太子の笑顔は、代替品では絶対に見ることが出来なかったはずだ。
「鬼男、お昼食べないのか?」
「…太子こそ、妹子のところ行かなくていいのか?」
不意に、頭上で声が聞こえた。
顔を机から少しずらして、声をかけてきた太子の顔を見上げながら鬼男は問いかける。太子は少し考えるように「んー…」と唸ってから、鬼男の前の席の椅子を引いてそこに腰を下ろした。
「たぶん、妹子は曽良とご飯食べてる…と、思うし。今は妹子より、鬼男のほうが気になる。」
昨日のことも踏まえて、太子は鬼男に何かしたいと思ったのだろう。妹子と出逢う前からずっと一緒に過ごしてきて、たくさん助けてくれた大切な幼馴染のために。
「ははっ…太子って、何だかんだ言って絶対タイミング外さないよな。」
自然とこぼれた笑いとともに呟いて、鬼男は体を起こした。昔から聞いてほしいとき、話したいときには必ず時間を作ってそばにやってくる。
「まぁ、普段は鬼男に頼りまくってるからな!こういう時くらい何かしないと不公平だろ?」
そう言っていつものように笑って見せる太子。今ではもう見慣れた、花の咲いたような明るく綺麗な笑顔。
「…前から、ちょっとずつ感じてはいたんだ。でも、気づかない振りをしてた。たぶん、太子が心から笑うようになったあの時からずっと、感じてたんだろうな。」
ふ…と軽く息を吐いてから、鬼男はまるで独り言のように話し出した。太子は真剣な表情で鬼男を見つめ、ただ黙って言葉を待つ。
「高校に入って…曽良と芭蕉先生を見てて、それはますます大きくなった。補い合ってる太子たちの中で、僕だけ欠けてるような感じ。太子たちが悪いって言うんじゃなくてさ、僕にも誰かいた気がしてならないんだよ。太子にとっての妹子、妹子にとっての太子…曽良にとっての芭蕉先生、芭蕉先生にとっての曽良みたいな存在が、さ。」
「鬼男…それは」
「うん。初めはただお前らが羨ましいだけなのかなって思った。けど、違うんだ。消そうと思っても消しきれない大切な誰かがずっと…悲しそうに、寂しそうにしてるんだよ。まるで、妹子に逢う前の太子みたいに無理して笑って…独りで。」
太子が物言いたげに口を開いたが、言いたいことは分かっているので鬼男は言われる前に遮って答えた。今思うと幼い頃から太子の心からの笑顔が見たいと感じていたのは、自分の中に居る誰かと重ねていたからなのかもしれない。
「なぁ…鬼男。その誰かってさ…ひょっとして…」
「…?何だよ。」
太子は、鬼男の話を聞きながら宗教史の授業のときのことを思い出していた。
懐かしい感じというのは、死んだときに誰もが会ったことがあるのだから有り得るのかもしれないと思った。けれど、違和感があるというのなら…もしかしたら鬼男は、冥界の王の本質を知ることが出来るほど近くにいたのではないかと。
「も、もしかしたら…だぞ?ひょっとして、ひょっとすると…だな。」
「だから、何だよ?もったいぶってないで早く言えって。」
あくまで推測で、証拠があるわけでもないのに自分が言っていいのか分からず、思わず言いよどんでしまった太子に、鬼男は焦れたように続きを促してくる。太子は落ち着く目的で一度、大きく深呼吸をした。
「だからな?鬼男の言う大切な誰かっていうのは、もしかしたら閻」
『お願い、思い出さないで…!』
「っ、い…っ!」
太子の言葉を遮るように耳鳴りがして鬼男の頭に強い痛みが走る。
頭の中から何かに叩かれているような、締め付けられているようなずきずきとした痛み。
「鬼男!?どうしたんでおまっ!鬼男!」
すぐ近くで太子の慌てた声がする。けれどその声も頭痛とともにだんだん遠ざかり、鬼男の意識は闇に沈んだ。
◇◇◇
「冗談じゃない!僕はずっとお前のっ…大王の傍にいるって決めたんですよ!?」
あまりに突然すぎた。
ただ罪を償うためだけに職務を全うしていた中で、いつからか隣にいることが当たり前になって、何気ないことがどうしようもなく嬉しくて。分かっていても、それでも永遠を誓い、そのために出来ることを考えていたところだったのに。
「鬼男くん、君は本当に優秀な秘書だった。でも、それは私の隣に立ち続けられる理由にはならない。それに…いつまでもこんなところにいるより、輪廻に戻る方が幸せだよ。」
「僕にとっては転生なんかよりお前の隣に居ることの方がよっぽど幸せだ!」
ああ、何を子どもみたいなことを言っているんだろう僕は。
けれど…僕はこんなにも混乱しているのに、大王があまりにも冷静で…閻魔大王の顔をしているから。
「安心しなよ。転生すれば、今までの記憶は全て消えるから。君は新しい真っ白な存在として命を刻む。…オレのことも、ちゃんと忘れられる。」
「僕はそんなこと望んでない!!」
「…さよならだよ、鬼男くん。今までありがとう。」
僕の言葉は大王には届かず、ただ穏やかな微笑を浮かべる。
「大王っ…!」
目の前に突きつけられた手のひら。意識が遠のいていく。離れたくない…大王を、独りにしたくないのに。
「オレは大丈夫だよ、鬼男くん。君と会う前まではひとりでやってきたんだから。」
不意に辺りが暗くなった。驚いて周りを見回せば、僕が居たのはさっきみたいに広く無機質な部屋ではなく、小さいけれどどこか生活感のある…たぶん寝室。
聞こえた声は、部屋の奥に置いてあるベッドの上から。闇に紛れてよく見えないけれど、透き通った紅いビー玉のようなふたつの瞳だけはなぜかはっきり見える。
「鬼男くん、君はもう生まれ変わったんだ。生まれ変わる前のことに捕らわれてちゃいけない。オレじゃない…別の誰かと幸せになって、今の君の人生を精一杯生きて欲しいんだ。」
「そんなのっ…!大体、大王はどうするんですか。僕が居なくなってお前は…ひとりでずっと、やっていけるんですか?」
言いながらも大王は寂しそうな笑みを浮かべているように見えて、胸が酷く締め付けられる。
なるべく冷静を装って、意思を確かめるように問いかけてみれば、大王の瞳がわずかに揺らいだ。誰よりも寂しがりで、ひとりを嫌うお前がこのまま独りでやっていけるとは思えない。
「僕は大王の傍に居ます。以前のように隣で、秘書として働かせてください。それに…僕が居なくなったらアンタ、このまま無理し続けるでしょう?大王の泣き顔も、苦しむ姿も僕は見たくないし、させたくないんです。」
ベッドから動こうとしない大王に、僕のほうから歩み寄る。だんだんと闇に溶けていた体がはっきりと見えてきた。
「大王…」
声をかけて、確かめるようにゆっくりと大王の頬に手を伸ばす。僕を見上げてくる紅い瞳も、わずかに震えている体も、僕と同じように離れることを拒んでいるくせに。
「オレは、大丈夫だから。鬼男くんにはオレのそばにいるより、生まれ変わったその体で、頭でいろんなことを考えて、感じて生きてくれるほうがすごく嬉しくて幸せだよ。もうここから動けないオレとは違う。鬼男くんは、まだまだいっぱい…いろんなことを見て、学ぶことが出来る。だから…今ある命を大切にして、誰よりも幸せになって?」
それでも大王は僕の腕を離して、また穏やかに微笑んだ。目の前が霞んで、だんだん眠たくなってくる。大王が、遠ざかっていく。
「待、て…話は、まだ…」
「ねえ…オレの最後のわがまま。もう何も思い出さないで、全部忘れて。オレは、鬼男くんの生きる姿が見たいから、オレを探そうと思わないで。鬼男くんが生まれた意味を、本当の幸せをちゃんと探して…見つけて?幸せだった、って…いい人生だった、って…今度会ったとき笑えるように。」
霞んでぼやける視界の隅で、泣くのをぐっと我慢して不器用に笑う大王の顔を捉えた。
最後の最後で、そんなわがままをそんな表情で言うなんてずるいですよ。そんな風にされたら、叶えてやる以外の選択はもう残されてないじゃないですか。
――その最後のわがまま…ちゃんと叶えてやりますから。だから、
◇◇◇
「お前も…僕のことは、忘れて…」
「鬼男!目が覚めたか!?」
ゆっくりと、意識が浮上した。
真っ先に感じたのは清潔感溢れる消毒のにおいと、そんな中でもしっかりと存在を主張するカレー臭。
「太子…?あれ、僕…」
「昼休みに突然倒れたんだ!ずっと目を覚まさないから心配したんだぞっ!」
鬼男が起き上がり状況を把握しようとしていると、顔を覗き込んでいた太子が言葉の通り本当に心配そうな表情で答えた。起き抜けに耳元で声を張り上げられるのはいささか迷惑ではあるが、体のだるさに反して頭は思いのほかすっきりしていた。
ずっと感じていた寂しさも、物足りなさもすっかり消えて、あれほど逢いたいと思っていた誰かへの想いは、どこへ消えたのか落ち着いてしまっていた。
「夢を、さ…見たんだ。」
俯いて、ひざに置いた自分の手を眺めながら呟く。ただ今は、誰かに聞いてほしかった。
「夢…?」
太子もそれを理解したのか、ベッドの横にあった椅子に座りなおして続きを促すように鬼男の言葉を繰り返す。
「どんな夢か、全然覚えてないんだけど…大切な、約束をした…と、思う。」
夢の内容も、誰とどんな約束をしたのかもまったく覚えていないけれど、それでも約束をしたことだけは覚えているから。
「まだ、完全に消えたわけじゃないけど…これはもう、このままにしておく方が良いんだと思う。太子と妹子みたいなことになったら、それはそれで嬉しいかもしれないけど…無理に、躍起になって探さなくてもいい気がするんだ。僕もやりたいことがあるし、生きていく中で太子たちみたいな関係を築ける相手が見つかるかもしれない。」
「鬼男…」
倒れる前とは打って変わって真逆のことを口にした鬼男を太子は不思議に思ったが、それでも話している鬼男の表情は無理をしているようには見えなかった。
むしろ、全て納得しているように心穏やかな笑みを浮かべていて。何となく、本当にもう良いのだなと受け入れられた。
『そうだよ、鬼男くん。君はもう転生したんだから。』
どうか、幸せに。
君の願いは聞こえていたけれど、でもオレにとってこれは大切な…絶対に無くしたくない思い出だから。君のことも、君のくれたものも過ごした日々も全部…オレだけは忘れないから。
「あ…」
ポツリ、と音を立てて空から降ってきた雨の雫。ひとつ、またひとつと数を増やしパラパラと地面を濡らした。
「急だなぁ…さっきまで晴れてたのに。」
太子が窓の外に視線をやって不思議そうに呟く。
そのままその日の夜遅くまで降り続いた雨は、なぜか鬼男にはいつもより物悲しく、冷たく感じられた。
――いつかまた出逢えたのなら、そのときは。
【終】
――――――――――
長い文章にお付き合いいただきありがとうございました!
実は山にPCを持って行き、夜更かしをして書き上げていたのです。書いているうちに書きたいことがどんどん出てきて、それを何とかして入れようと思っていたらこんな分かりにくい文章になってしまいました。
もっと分かりやすい、読みやすい文章にできるようになりたいものです。
では、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
ずっとあなたに逢いたくて③
2010/01/06 21:40:38
鬼男と閻魔の葛藤。
分かっていても割り切れない、消し去ることの出来ない想いがある。
いつからだろう、あいつらを見ていて寂しいと思うようになったのは。
「アンタいっつもそればっかりですね!たまには他のもん食べろ!」
「何を言う!カレーは野菜も肉も一緒に食べられて、しかも美味しいんだぞ!」
「だからって毎日食べることないでしょう!?」
今日も騒がしい口論を繰り広げながらの帰り道。
太子と妹子は、にわかには信じられないけれど記憶がなくても体と心が覚えていたことによって結びついた2人。転生…生まれ変わりを超えても好きだと思える関係は、素直にすごいと感心できる。
周りがどう言おうと、お互いがお互いにとって自分らしくいられる存在なんだから僕は心から祝福してやりたいと思っている。
「ひぃん!曽良くん、マーフィー君に何してるの!?」
「本当に中身が綿か確かめたかったんですよ。知的好奇心です。」
「だからって破くことないでしょー!?うぅ~、痛かったよね?マーフィーくん…!」
高校に入って出会った曽良と芭蕉先生は、曽良が俳句部に入ったことで親しくなったらしいけど、傍から見ているともうずっと昔から一緒にいるような空気を醸し出している。何より、自分のやりたいことや目標に向けてお互い進んでいても、当然のように相手の邪魔にならない程度で確かに支えあっていた。
お互いにとって何が必要で、何を大切にしているか以前から知っているかのように。
「鬼男ー?何してるでおまっ!」
「置いてっちゃいますよ?」
太子と妹子が振り返って声をかけてくる。
しまった、考えすぎて遅れ気味になっていたみたいだ。
「悪い悪い。」
それを羨ましいと思っているわけではないけれど…ただ、何となく。
「どうしたの?鬼男くん。」
「何かありましたか?」
謝りながら急いで駆け寄れば、続いて問いかけてくる芭蕉先生と曽良。
そう…ただ、何となく…物足りないような寂しいような感情がこみ上げて来るんだ。
「ん…いや、何でもないよ。大丈夫。」
上手く笑えている自信がない。
太子たちを見れば見るほど…一緒にいればいるほど、空虚になっていくような感覚に陥る僕の心。太子と妹子のように隣にいたいと、芭蕉先生と曽良のように支えあっていきたいと願った誰かが、僕にも居たような気がして。ずっと共にありたいと願い、誓った誰かが。
「逢いたい…」
思わず口をついて出てきた言葉。それを拾ったらしい太子がくるりと振り返った。
「ん?何か言ったか、鬼男。」
「あっ…いや、何も。あー…えっと、僕用事思い出したから先に帰るな?じゃあ、また明日!」
太子の問いにハッとして首を横に振ると、我ながら苦しい言い訳だなぁと思いつつも口早にそんなことを言って逃げるように背を向けた。
今の僕は、このままみんなと一緒に居て普通にしていられる気がしなかったから。
「鬼男…?」
「鬼男先輩も、案外会いたい誰かが居るのかもしれませんね。」
太子は普段の鬼男らしくない態度に首を傾げるが、妹子は鬼男の走り去った方向を見ながらポツリと呟く。
「…?鬼男先輩からそのような話を聞いたことはありませんが。」
妹子の言葉を聞いて曽良は考えるように視線をめぐらせてから声をかける。太子と芭蕉も曽良に同意するように頷いた。
「僕もないけど。でも、僕らを見て時々寂しそうな顔をしてたから…そうなのかなって、思って。」
3対1のような状況に妹子は居心地が悪そうにしながらも、曖昧な表情を浮かべて答えた。
「うん…でも、なんか…辛そうだよね、鬼男くん。最近、特に元気がないよ。」
会話を受けて芭蕉もマーフィーを抱きしめながら落ち込んだように呟く。原因が自分たちにあるのだろうかと思い、泣きそうに眉尻を下げた。
「誰もあなたのせいだなんて言っていないんですから、そんな風に泣きそうな顔をするのは止めてください。」
「うぅー、でもぉ…」
曽良が芭蕉の表情を見てすかさず声をかけたが、芭蕉の瞳は潤んで今にも雫が溢れ出しそうだ。
「この前…宗教史の授業で鬼男、すごく苦しそうにしてたんだ。」
ふと、太子が思い出したように呟いた。
「宗教史、ですか?」
「うん。仏教やヒンドゥー教で地獄の主…冥界の王とされてる閻魔大王の話だったんだけど…懐かしい感じがするのにどこか違和感があって気持ち悪い、って…」
妹子が先を促すように問いかけると、太子は話している自分の方が苦しそうな表情をして言葉を続けた。そのときの鬼男は、よっぽど辛そうにしていたのだろう。
「こんなことを言うのも難ですが…鬼男って名前ですし、やっぱり何かあるんですかね。」
話を聞いて曽良は少し考えるように呟いたが、今ここにいる4人がいくら考えても情報が足りな過ぎるのだから、何か分かるわけでもなかった。
◇◇◇
鬼男が転生してからの閻魔は、新たに秘書を置く気にもなれず1人激務に追われていた。以前は鬼男と2人でこなしていた、延々と終わることなく繰り返される仕事を今は独りで行う。
「おかしいよねぇ…君と会う前だってこうしてひとりでやってたはずなのに。」
自分以外誰もいない寝室のベッドで膝を抱えて呟く閻魔。最近は仕事が終わると電気もつけない真っ暗な部屋で何もせず座っていることが多くなった。
空腹感があるわけでもないし、睡眠も必要としない。鬼男がいるときはいつものように食べていた菓子類も、今では不思議と欲しいと思わない。
「鬼男、くん…」
ポツリと口からこぼれた名前。こういうとき閻魔は、自分が闇に馴染む髪色と格好をしていてよかったと思う。今、自分は「閻魔大王」でなくても良いように感じるから。
「このまま、闇に溶けちゃえたら良いのになぁ…」
そうしたら、オレもまた君と同じ時間を過ごせるだろうか。見送るだけの、輪廻から外されてしまった「閻魔大王」は黒い闇に溶けて、彼らのように廻る存在として。
「はぁ…バカみたい。」
そこまで考えて、閻魔は思考を打ち切るように呟いた。
転生したくないと、ずっとこのまま傍にいたいと言ってくれた鬼男の記憶を消し去り、突き放したのは自分。永遠に変わることのない自分の生活が、鬼男と居るときは短い間とはいえ常に変わっていて。それだけで十分、幸せだった。
「思い出す必要なんてない。覚えていて欲しいとも思ってない。」
だからどうか、お願い。
閻魔は立ち上がり、生ある世界を思い描いた。
「思い、出さないで。どうかこのまま、ずっと…」
術は完璧だったはず。分かっている。
閻魔はまるで祈るように、暗闇の中で光る自らの紅玉も隠して視界を暗転させた。
ずっとあなたに逢いたくて②
2010/01/06 21:32:35
高校に入ってからの妹子と太子の関係と、曽良を含めた友人関係。
自分のやりたいこと、興味のあることを突き詰めて欲しい。その上でまた、出逢えたら。
約束なんて要らなかった。
不器用ではあったけれど、お互い幸せな人生だったと思えたから。
それに…相手に縛られるより自分のやりたいことや興味のあることをするほうがよっぽど良いでしょう?
生まれ変わっても同じことに興味を持つなんて、思ってもいなかったけれど。
◇◇◇
宗教に関する授業があって、図書室が充実している。曽良が高校を選ぶにあたって考えたのはそこだった。宗教に関わる学校はそれなりにあったが、図書室については曽良の好みも関わってくるため数は少なくなり、その中から他の高校と比べて宗教について幅広く教えている高校を選択した。
「今日も太子先輩たちと昼食ですか。」
「うん、まあね。…曽良も来るでしょ?」
午前の授業が終わって曽良が教科書を机にしまっていると、隣の席で早々に弁当を取り出している妹子が見えて、疑問ではなく断定して声をかけた。すると妹子は照れくさそうに笑って頷き、続けて問いかけてくる。曽良はさり気なく教室全体を見渡してから、軽くため息をついて口を開いた。
「そうですね。一人で食べているとゆっくり食べさせてもらえそうにないですから。」
入学してすぐは顔が良いというだけでまるでアイドルを見るように遠巻きに視線を送られているだけだったが、学校生活をしていくうちに頭も良いということが分かったので、勉強を教えてもらうのを口実になんとか曽良とお近づきになろうとする女生徒が増えてきたのだ。
しかし妹子といるときはやはり遠慮するのか、声をかけてこない。だから曽良が教室でひとりになるときを今か今かと狙っているらしい。
「人気者は大変だね。」
「騒がれるのはあまり好きじゃない。」
妹子が苦笑して言うと、曽良はどこか不機嫌そうに答えた。
「いーもーこー!!芋っこ妹子ー!」
不意に廊下から聞こえた周りを気にしないほど大きな声。来る時間が決まっているわけではないため毎回この声に驚いてしまうクラスメイトたちは、今日もいつものように視線を妹子に集中させる。妹子はクラス全体から受けるこの視線が居た堪れなくて好きではなかった。
弁当を引っつかむと、大股で視線の原因を作った太子に近づいていく。
「ごめんなー、妹子。待っ…」
「誰が芋っこだこの芋虫がっ!!」
へらへらと笑って謝る太子の言葉を遮って思いっきりストレートを食らわせる。突然の攻撃に対応できなかった太子がゆっくりと倒れそうになっていると、いつものように後ろに立っていた鬼男がそれを支えて止めてやった。
「いつものことですが…3人とも、よく飽きませんね。」
「僕は好きでやってるわけじゃないんだけどな。」
曽良も弁当の準備をするとため息混じりに呟いて3人と合流する。曽良のその言葉を聞いた鬼男は苦笑しながら答えた。
「妹子、裏庭の花壇が綺麗なんだ!今日はそこで食べるでおまっ!」
「はいはい、アンタ誘うときも同じこと言ったでしょう。分かってますよ。」
曽良と鬼男の会話はまったく耳に入らないのか、子どものように騒いでひとり先に行く太子と、呆れた様子で答えつつもどこか嬉しそうに後を追う妹子。
曽良と鬼男は顔を見合わせて、楽しそうに口論をする2人を見守るように少し後ろをついていった。
「見ろ、妹子!すっごいだろう!」
裏庭に着いて開口一番、太子は両手を広げながら振り返り、花壇に咲く色とりどりの花に負けないくらいの笑顔で言った。
「なるほど…確かにこれは凄いですね。綺麗です。」
「これ見たとき、絶対妹子に見せてやりたいって思ったんだ!」
妹子も花や野草を見るのは嫌いではないので、嬉しそうに…幸せそうに笑って返す。すると太子は恥ずかしげもなくそんなことを言って再び笑って見せた。
「っ…バカじゃないですか。まったく、もう…」
妹子は一瞬驚いたように目を見張ってから恥ずかしさを誤魔化すように軽くうつむいて、花壇の花が綺麗に見えるところにすとんと腰を下ろした。その姿に笑みを深めて、当然のように隣に座る太子。
「…2人は、昔からあんな感じですか?」
弁当の中身について、おにぎりの具がどうとか塩がどうとか話している2人から少し離れたところで鬼男が弁当を開いていると、先に弁当を広げて食べ始めていた曽良が視線は弁当に向けたまま問いかけてきた。
鬼男は一瞬何のことか分からず手を止めたが、すぐに理解して同じように弁当を食べ始めながら「まぁな。」と頷く。
「妹子と太子が会ったのは中学の入学式なんだけど…それまで太子は、何ていうのかな…すごく、大人びてて。いや、傍から見たら子どもなんだけど…僕から見たら子どもを演じているような感じだった。」
「僕も、人を見る目はあると思っているのですが…今の太子先輩からはそんなに深く考えているような雰囲気はありませんよ。」
話しながら妹子と太子の方を見る鬼男に、曽良も視線を送って言い返した。妹子と一緒にいる太子は、曽良からすれば妹子が大好きでテンションの高い、ただの変な先輩だ。妹子の話を聞くところによると、成績は非常に優秀なようだが。
「まぁ、今はね。太子は、昔からずっと…妹子に逢いたかったんだよ。もしかすると、生まれたそのときからずっと、妹子を探してた。妹子が隣に居ることによって、太子は初めて太子らしい太子になれた。」
妹子にはじめて会ったときの太子の心からの笑顔を鬼男は思い浮かべる。何をやっても心から笑うことはなく、寂しそうに…けれど無理して楽しそうにしているような笑顔しか見せてくれなかった。
「生まれたときから探していた…?」
「太子は、生まれるその前に妹子と絶対にまた逢おうって約束してたんだ。太子の隣には妹子が居て、妹子の隣には太子が居て。それが2人にとっては当然のことで、それだけは絶対に必要なことだった。だから、生まれたときからずっと…探してたんだよ。自分が自分らしくあるために。」
曽良が訝しげに聞き返すと、鬼男は弁当を食べていた手を止めて曽良の目を真っ直ぐ見つめ答える。しかし、曽良はその返答を聞いて納得するどころかますます理解できないという風に眉根を寄せた。
「生まれ変わってもなお、ずっと傍にいたいと願うことは確かにあるのでしょうけど…その約束を生まれ変わっても覚えているものですかね。」
「記憶がなくても…覚えていなくても。何かが足りないっていう感覚は、案外誰でも持っているものだよ。ただ、実際に本当に必要なものに出逢う確率は限りなくゼロに近い。だから人は、似たような人間や物を探して生きていくんだ。…太子と妹子は、たまたま求めていた足りない何かに出逢えた。ということじゃないかな。」
曽良が疑わしげに呟くので、鬼男はくすっと笑って答えた。
「でも…僕にもし、大切な人が居たとしたら…生まれ変わったその時にその人に逢いたいと思うより、その人のやりたいことをやって欲しいと思いますけどね。その上で、その人に逢えたというなら何も言いませんけど。」
「…妹子がここに入学した理由、聞いたんだな。」
どこか怒りを含んだその言葉を聞いてようやく曽良の意図が読めた鬼男は、ため息混じりに呟いた。
『興味がなかったわけじゃないし、勉強してみるのも面白いかなって。何より…どんなことを学んで、どんな風に生きていくのか一緒に考えたかったから。』
妹子に志望動機を問いかけたとき、そんな言葉が返ってきた。
どこか照れくさそうに笑っていたのを良く覚えている。
「…興味がないわけじゃないって言ってるんだからそれはそれでいいと思うんだけどな。」
「でも、やっぱり」
「あっ、こんなところにいた!もー、探したよ太子くん!」
曽良と鬼男の会話を遮るように突然声が聞こえた。4人の視線が声に反応して移動する。茶色いぐったりした小さなぬいぐるみを抱えた、気の弱そうな男が手を振ってこちらに近づいてきていた。
「あれ、芭蕉先生!どうしたんでおま?」
「何かありましたか?」
誰だろうと思ってじっと見つめている2人を置いて、太子と鬼男が声をかけながら近寄っていく。
「どうしたじゃないよ~。太子くん、今日の昼休みに松尾のところに来てって言っといたでしょう?」
「…あぁ!すっかり忘れてた!ごっめーん、芭蕉先生!」
芭蕉の言葉で思い出したのか両手を合わせて謝る太子。
「太子、お前またか!言われたことくらいちゃんとやれっていつも言ってるだろ!」
「だから、ごめんってー!」
「あの…?」
鬼男が叱りつけるように怒鳴り、太子が言い返したところで、妹子が控えめに声をかけた。
「あれ、妹子たち知らないか?古典の芭蕉先生。僕たちの担任なんだけど。」
妹子の声を聞いて少し驚いたように問いかける鬼男に、妹子は首を横に振る。古典担当は別の教師だし、昼食時も太子が教室に迎えに来るので、妹子たちが太子と鬼男のいる教室に行くことはめったにない。
「そうだよねぇ…私は2年と3年担当だから。じゃあ、改めて自己紹介しようか。…古典担当、俳句部顧問の松尾芭蕉だよ。」
「でも私、俳句部って廃部になりかけって聞いたぞ?」
芭蕉が笑って自己紹介をすると、太子が首をかしげて問いかけてくる。すると芭蕉は途端に肩を落として「そうなんだよねぇ…」と俯いた。
「あ…えっと、僕は1年2組の小野妹子です。そしてこっちが…」
太子のせいで落ち込んでしまったが、とりあえず自己紹介されたのだからと自分も名乗り、続けて曽良の紹介をしようと曽良に視線を向けたところで、妹子は曽良の様子がおかしいことに気づいた。
珍しく目を見開いて驚いた表情を見せ、じっと芭蕉の顔を見つめているのだ。
「…曽良?」
「え…あ、はい。なんですか?」
「いや、なんですか?じゃなくてさ…もう。芭蕉先生、こっちが同じクラスの河合曽良です。」
妹子が曽良の顔を覗き込んで名前を呼ぶと、曽良は意識を妹子のほうに向けはしたがやはりどこかぼんやりしていて。妹子は呆れたようにため息をついてから曽良のことも紹介した。
「ふふ、妹子くんと曽良くんだね。鬼男くんと太子くんとは仲がいいみたいだし、これからもよろしく。」
「はい、よろしくお願いします!」
柔らかく微笑んで返した芭蕉に、妹子も笑って答えた。
「芭蕉先生、お昼休みそろそろ終わっちゃうけど何の用事?」
話がひと段落ついたところで太子は首をかしげて問いかける。わざわざ探しに来たのだから、急ぎの用事なのだろう。
「あ、そうそう。お昼ごはんはもう食べ終わった?出来れば、鬼男くんも一緒に来て欲しいんだけど。」
「僕は、大丈夫です…けど。」
芭蕉の言葉に頷きながらも、妹子と曽良のほうに目を向ける鬼男。2人を気にしている様子がありありと伝わってきた。
「もう昼休みも終わりますし、僕たちも教室に戻ります。先生の用事に行ってください。」
曽良は未だに放心気味ではあったが、妹子はその目を見て苦笑すると、大丈夫だということを鬼男に示す。鬼男もそれを聞いて頷くと安心したように笑った。
「じゃあ、悪いけど2人は連れてくね。お昼ごはん、邪魔しちゃってごめんねー?」
芭蕉がすまなそうに言って、校舎のほうに歩いていく。鬼男もそれに続き、太子は自分で言い出した割に行きづらそうに妹子のほうを振り返る。
「妹子、今日は先に帰るなよ!ちゃんと教室で待ってるんだからな?HR終わっても」
「あー、もう!分かりましたから早く行ってください。昼休み終わっちゃいますよ!」
いつまでもしつこく言ってくる太子を遮って妹子が怒鳴ると、ようやく太子は背を向けて歩いていった。
ふぅ…と、一息ついてから今度は曽良のほうに向きを変える妹子。
「曽良、どうしたの?芭蕉先生に何かあった?」
「…何でもありませんよ。それより妹子、午後の最初の授業は移動教室でしょう?早く戻らないと間に合わなくなります。」
妹子が心配そうに尋ねると、曽良は誤魔化すように答えて歩き出す。
――俳句部があることも、顧問が松尾芭蕉という名前の教師であることも入学してから調べていたから知っていたけれど…入部するかしないかは、まだ迷っていた。
「芭蕉、さん…」
無意識に口をついて出たのはそんな呼び方。教師をさん付けにするなんて何を考えているのだと思わず自分の思考を疑ったが、先生とつけるよりもよっぽどしっくりきていて。
「入部届け、今からでも間に合いますかね。」
「え?…曽良、俳句部に入るの?」
妹子を置いて先を歩いていたが、ふと思い出したように立ち止まって呟けば、それをちゃんと聞き取ってくれた妹子が驚いたように問いかけてくる。廃部寸前の部活に、しかも顧問を知っただけなのになぜ入ろうと思ったのか理解できなかったようだ。
「もともと俳句に興味がなかったわけではないし、入部してみるのも面白いかなと思いまして。」
「そ、そうなんだ…たぶん、間に合うんじゃないかな?」
わざとらしく妹子の入学動機と同じ言い回しを使って曽良が返答すると、妹子は頬を引きつらせつつも曽良の問いに対する答えを返したのだった。
ずっとあなたに逢いたくて①
2010/01/06 21:25:19
・不意に天国メインでシリアスが書きたくなって書き出した転生学園パロディです。
・私がシリアスを書くとなぜか長くなる不思議。
・結構長いので、4つに分けてあります。
・勢いで書いたので、視点がころころ変わったり意味がよく分からなくなったりしています。
とりあえず、ひとつのまとまり…話として作っているので、そんなに続きものという感じはしないようにしているつもりですが、天国組メインなので飛鳥と細道はそこに繋げるための道作りのようになっています。
お時間に余裕があって、読んでもいいよっていう方はどうぞ。
飛鳥組の出会い。中学生。
ずっと捜し求めている何かがある。それに出逢えたら、どんなに幸せだろう。
――物心がついたときから、ずっと違和感があった。何かを探しているような、何かを待っているような。そこにあるはずのものがないのに、それが何か分からない。そんなもどかしさと物足りなさを、今までずっと感じていた。
「ずっと、待っている気がするんだ。何かは分からないけど…絶対に欠けてたらいけない、大切な何かが確かにあって、それを私はずっと待ってる。いや、もしかしたらそれは私が無くしたもので、今は探しているのかな。」
それは、幼い頃からいつだって心から笑うことはなく、どこか寂しそうにしていた太子がいつか話していたこと。その話を聞いたとき鬼男には何を言っているのかよく分からなかったけれど、太子が何かを求めていることだけは分かった。
それを見つければ、太子はきっと心から楽しそうに笑うのだろうと。
◇◇◇
「今日から後輩が出来るのか…なんか実感湧かないな。」
「でも、鬼男はいい先輩になりそうだよな。面倒見良いし、真面目だけどそれなりに崩れてて親しみやすいもんな~。」
中学2年の春。入学式当日に朝早くから準備に駆り出されていた鬼男と太子は、受付の机と名簿を整頓しながらそんな会話を交わした。そろそろ新入生がやってくる時間で、2人はそのまま受付係となる。新入生の名前を聞き、クラス確認と胸に花を挿してあげる単純な仕事。
「褒められているととって良いのか?それは…」
「んー?そう聞こえなかったか?」
鬼男が怪訝な顔で問いかければ、太子は首をかしげて逆に聞き返してきた。聞こえなかったから聞いてんだよ、と思いながら鬼男が再び口を開こうとしたとき。
「あ…」
「太子?」
不意に太子が真っ直ぐ前を見て動きを止めた。
鬼男が不思議に思って名前を呼んでも太子の目は一点に集中しており、鬼男は首を傾げて同様に太子の視線を追って正面に目を向ける。すると、色素が薄いのか茶色の髪をしたひとりの少年が、少し大きめの学生服を身にまとってこちらに向かってきていた。
「あぁ、新入生か。…おはようございます、君の名前は?」
その姿を捉えて新入生と判断した鬼男は名簿を手に、机の前までやってきた少年に爽やかな笑顔を見せて問いかける。
「あ、はい。おはようございます。えっと、小野妹子と言い…」
机の前に来た瞬間に声をかけられ素直に答えた少年は、途中で不自然に言葉を切って驚いたように太子の顔をじっと見つめた。
太子も彼と同じように驚いたような、けれどどこか嬉しさを滲み出るような表情で見つめ返している。
「…小野くん?」
「あっ、はい!」
そんな2人を不思議に思いつつも、とりあえずは仕事を全うしようと妹子の胸に花を挿してやりながら鬼男が控えめに声をかければ、妹子はハッとしたように視線を鬼男に向けてはっきりと返事をした。
「じゃあ、君は1年1組だから、すぐそこの昇降口から入ってくれるか?後は僕たちみたいな学生が案内してくれるはずだから。」
「はい!ありがとうございます!」
妹子の返事に笑って頷き鬼男が言うと、妹子は礼儀正しくお辞儀をして昇降口へ駆けていく。鬼男はそれを見送ってから、未だに放心状態にある太子に視線を向けてくいっと腕を引っ張った。
「おい、どうしたんだよ太子。あいつに何かあったか?」
「…見つけた。」
「え?」
鬼男が問いかけると、ずっと放心していた太子はとても嬉しそうに笑って呟く。言った言葉が何を意味しているか理解できず聞き返す鬼男に、今度はしっかりと目を向け興奮した様子で口を開いた。
「鬼男!見つけたでおま!小野妹子!!小野妹子だぞ!?聖徳太子に小野妹子!名前だけじゃない、体が覚えてる!!あいつをずっと私は待ってたんだ!」
出会ってから今日まで、ここまで嬉しそうに…子どものようにはしゃぐ太子を鬼男は見たことがなかった。しかしそれをおかしいと思うことはなく、むしろ今まで見てきた中で一番しっくり来る姿に見えた。抵抗もなく『あぁ、これが本来の姿なのだ』と受け入れることが出来た。
「そっか…うん。良かったじゃないか、太子!やっと会えたんだな!」
「ありがとな、鬼男!」
一瞬頭を過ぎった感情には目を向けず蓋をして、鬼男は自分のことのように嬉しそうに笑った。鬼男が一緒になって喜んでやると、太子も眩しいくらいの笑顔を見せて礼の言葉を口にする。
ずっと見てみたかった太子の心からの笑顔。笑顔にさせる存在は、ちゃんと居た。
◇◇◇
――カレーと青ジャージ。それを見るたびどこか懐かしさと寂しさを感じていた。そして、理由も分からずただ会いに行かなきゃ、探しに行かなきゃという衝動に襲われて。
「でも結局、どうしたらいいか分からなくて何も出来なかったんだよなぁ…」
入学式の後、今日から1年ともに過ごすことになる教室で、クラスメイトたちの仲間作りに参加するでもなく妹子はひとり席に着いたまま呟いた。
クラスの仲間作りより何より、受付で会った先輩のことが気になって。どこから出ているのかあの距離でも感じ取れるカレーのにおい。自分をじっと見つめてきた黒い瞳。初めての経験のはずなのに、感じたのは懐かしいという感情とやっと会えたという安心感。
「無限に広がる大宇宙!ここに小野妹子は居るか!?」
突然ガラッと音を立てて不思議な言葉とともに現れた青ジャージ。次の瞬間には自分の所在を尋ねてくるのだから驚いた。妹子は少し戸惑いながらも席を立ち、太子の立つ入り口まで歩み寄る。
「何か用ですか、せんぱ」
「妹子ー!!会いたかったぞっ!!」
「っ、いきなりくっつくんじゃねぇこのアワビがあっ!!」
妹子が問いかける間もなく、太子は大声でそんなことを言って妹子に思いっきり抱きつく。しかし妹子は頭で考えるより先に体が反応して、怒声とともに太子を投げ飛ばしてしまった。
成り行きを見守っていたクラスが、一気に騒然となる。
「あ…っ!す、すみません先輩!大丈夫でしたか!?」
そこでようやく自分が何をしたのか理解した妹子は、慌てて投げ飛ばしてしまった太子に駆け寄って容態を尋ねた。
「へへ…ぐっもーにん…」
「うわあ…驚くほど生気のない笑みだ…」
にへら、と少し不気味にも映る笑みを浮かべて答える太子に妹子は少し嫌そうな顔をして呟いた。
「とりあえず、もうすぐ昼だからモーニングじゃなくてアフタヌーンだぞ、太子。」
そこでようやく廊下にいた鬼男が教室に入ってきて、どうでも良さそうにツッコミを入れる。突然現れた先輩2人の姿に、1年1組の生徒たちはどうしたらいいのか分からずただその場に固まって成り行きを眺めるだけしか出来なかった。
「良いんだよ、こういうのは勢いだって言うじゃないか。」
「ふぅん…いつ誰が言ったんだろうな、そんなこと。」
起き上がって答える太子を涼しげに一蹴して腕を掴んでやると、鬼男は立ち上がる手伝いをしてやった。
強いカレーのにおいも青いジャージ姿も、生まれて初めて見るはずなのにやっぱり妹子の中にある感情は懐かしいだった。名前も知らない、初対面の相手を前に懐かしいと思うのはどういうことだろうと、思わずじっと太子の顔を見つめてしまう妹子。
「…あぁ、そういえばまだ自己紹介もしてなかったっけ。僕は鬼男。こっちは」
「聖徳太子だぞ!よろしくな、妹子!」
妹子の視線に気づき、思い出したように自己紹介をした鬼男の言葉を遮って自ら名前を告げる太子。
やっと会えたという気持ちはあるものの、太子にとってもやはり妹子は初対面。これから親しくなっていくにしても挨拶は重要だと思ったのだろう。
「聖徳、太子…?」
真っ直ぐ差し出された太子の手を見ながら、妹子は考えるように太子の名前を復唱した。
「すごいよなぁ…聖徳太子と小野妹子が同じ中学にいるんだから。」
くすっと笑って鬼男が呟く。
しかし妹子にとってそれは、すごいとか驚きとかそんな言葉で片付けられることではなく。やっとパズルのピースが揃ってちゃんとした絵になったような…そこにいて当たり前の、隣にいたはずのものがやっと戻ってきたような…そんな感覚。
「やっと…やっと、逢えましたね…太子。」
妹子は無意識に、差し出されたままだった太子の腕を掴んで太子に寄り添うと、嬉しそうに小さく言った。
記憶はなくても体が…心が覚えている。別れのそのとき、互いに交わした約束を。
『必ず逢いに行く。』
『きっと、見つけ出してみせますから。』
『だから、そのときまで。』
聖なる夜をあなたと
2009/12/24 13:42:04
いつかの時代のどっかの島国では、何でもかんでも恋人同士のイベントになるらしい。
いつもなら、恋人同士のイベントだなんて馬鹿げてると笑い飛ばすところだけど…
恋人同士のイベント、なんて気恥ずかしくてたまらない。
いつかの時代のどっかの島国で勝手に決めたただの売り上げ底上げに付き合うなんてバカらしい。
そう口にしていつだって誤魔化してたけど…
たまには、そんなイベントにのってみるのも悪くないかもしれない。
・宗教、信仰的な要素が少し含まれます。
・時代や現実的問題はやっぱり無視してます(←お前
鬼閻
「さぁ鬼男くん!今日は何の日だ!?」
「お前は何のために死者の振り分けをしないで降りてきてると思ってんだ。」
何の前触れもなく唐突に嬉々として問いかけてきた閻魔に、鬼男は呆れ顔で鋭いツッコミを入れた。今、閻魔と鬼男がいるのは人間たちのいる世界。
雪でも降りそうなくらい空には灰色の重い雲がかかり、道行く人間の吐く息は白く姿を現しては消えていく。
「もうっ!鬼男くんてば真面目すぎ!!あるでしょ、これ以外にさ!」
鬼男の間髪入れないツッコミに拗ねたように声を荒げた。
「…納めの地蔵以外に何があるって言うんですか。第一、他の事をやってる暇なんて」
「クリスマス・イヴだよ!恋人たちの行事として有名なのは今日なんだってば!」
怪訝な表情を見せて答える鬼男の言葉を遮って、閻魔はビシッと鬼男の目の前に指を突き出す。祭祀が終わったらすぐ帰るなんて物足りない。
しかし鬼男はそれを聞いてあからさまに大きなため息をついた。
「お前な…自分に関わる祭祀と供養してるところに来てるのに、他宗教の行事に乗ろうってんですか。」
「良いんだよ。ここではそんなに宗教としての意味合いは強くないんだから。」
鬼男が言うと、どこか楽しそうに笑って答える閻魔。
甘えるように鬼男の腕に懐いてから、上目遣いに鬼男を見上げた。
「たまには鬼男くんと普通に恋人してみたいなぁ…ダメ?」
「っ…」
言葉に詰まった時点で鬼男の負けは確定。
甘える声と透き通る紅玉の上目遣いに勝つ術を、鬼男は未だに持っていなかった。
「あー…ったく、仕方ねぇなーもう!分かりました、残りの祭祀終わったらな!」
「さすが鬼男くん!大好き!ほんと愛してるっ!」
鬼男が半ば自棄になりながら叫ぶと、閻魔は心底嬉しそうな笑顔を見せて告白の嵐。
「はいはい。そんなこと言わなくたって十分わかってます。」
「えー、それでも言いたい~」
鬼男のそっけない返答も何のその。閻魔の喜びは留まるところを知らないようだ。
納めの地蔵が終わったら街に繰り出そう。何をするわけでもないが、明るく綺麗に彩られた街並みをのんびり歩いて、目に付いた店に入るのも悪くない。
寒いといってくっついてきたときにさり気なく手を握ってやったら、こいつは恥ずかしそうに頬を染めながらもすり寄ってくるだろうか。
聖なる夜はあなたとともに。
―――――――――
妹太
「くっそ、アホの太子はどこ行ったんだ!」
12月24日。人々が忙しなく動き回るこの時期ですら、太子は相変わらずのマイペースで今日もふらっと仕事放棄をしてくれた。
自分の仕事だって年内に終わるか終わらないかという状況なのに、太子が居なくなったときに探しに行く役目はいつの間にか妹子に確定していて。結局現在やっている仕事は一時中断で寒空の下妹子は駆け回っていた。
「じゃが芋里芋いもの子妹子~」
晴れた日に2人で見つけたクローバーが沢山ある丘で、調子の外れた歌といっていいのか分からない声が聞こえていた。
この寒い時期にやっぱり青いジャージだけを着て楽しそうにクローバーを愛でるカレー臭いオッサン。
「誰が芋の子だ、このアホ摂政。」
「わっ、妹子!?お前…いつ来たんだ…」
すぐ後ろに立って妹子が声をかけてやると、太子はまったく気づいていなかったのか肩を跳ね上がらせて驚き振り返ってきた。
「たった今ですよ。まったく…忙しいときくらいちゃんと仕事できないんですか?僕だってやること山積みなんだから、余計な時間取らせないでくださいよ。」
終わりそうになると追加される尽きることのない仕事の山に苛立ちが募っていたせいもあり、八つ当たり気味に文句をぶつけてしまった妹子。すると太子は一瞬表情を暗くして、すぐにふっと視線を背けてしまった。
「…太子?」
いつもなら噛み付くように反論をしてきて、お互いすっきりするまで言い争う流れになるはずなのに。いつもと違う反応を示した太子を不思議に思い、妹子が顔を覗き込むようにして名前を呼べば、再びそっぽを向く太子の体。
「だったら…私のことは他のやつに任せて、仕事してれば良かったのに。」
小さな声が寂しそうに呟く。それを聞いて一瞬目を丸くする妹子。しかし、次の瞬間には呆れたようにため息をついて太子に手を差し伸べた。
「誰よりも早く、確実に太子を見つけるのは僕です。他の誰かに譲るつもりはありません。」
今度は太子が目を丸くする番だった。身動きひとつとれずただ妹子の顔を見上げる。太子の視線に恥ずかしくなったのか、妹子がふいと視線を逸らす。
「どうせアンタのことだからまた、すぐに嫌になって逃げ出しますよね。溜まってる仕事、僕の部屋で一緒に片付けさせてあげますよ。どうせ一晩中かかるでしょうし。」
それはつまり、今夜はずっと一緒にいられるということで。太子は嬉しそうに笑みをこぼした。
「実はな…ずっと用意してた、お前に渡したいものがあるんだ。」
「奇遇ですね。僕も太子に渡したいものがあるんです。」
太子が妹子の手を掴んで言うと、妹子もその手を引いて立ち上がらせながら笑って答えた。
聖なる夜はあなたのために。
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曽芭
旅の途中、師走ももう終わりに近づいた頃。寒い寒いと思っていたら、空からふわふわと舞い降りてきた雪が、あっという間に世界を白く染め変えてしまった。
「わぁ、積もってる!曽良くん、雪だよ雪!」
「見れば分かります。いちいちうるさいですよ、芭蕉さん。」
昨晩降っていた雪が積もったことに気づくと、芭蕉は子どものように窓に張り付いてはしゃぎだした。曽良はそんな芭蕉を見ていつものようにそっけない返答。
「君ね、仮にも師匠に向かってうるさいはないでしょ!もう…最近ほんと私のこと見下してるところあるよねぇ…」
松尾芭しょんぼり。と呟いて再び未だ雪を降らせ続ける灰色の空を見上げた。同じ部屋にいるのに窓の外にばかり向かう視線がやけに腹立たしくて、曽良は湯飲みに入っていた茶を飲み干すと、机に置いて立ち上がる。
「スランプ続きのジジイを見下さずして、ほかにどなたを見下すというんでしょうね。」
苛立ちも相まっていつも以上に冷たい語調で吐き捨てるように言うと、曽良は芭蕉に背を向け部屋を出て行ってしまった。
「あっ、曽良く…!」
慌てて振り返って呼び止めようとしたときにはすでに部屋のふすまがしまっていて。芭蕉は落ち込んだようにうつむいてため息をついた。
「せっかくの、ホワイトクリスマスなんだけど…な。」
特別な何かがしたいわけでも、欲しいわけでもない。ただ一緒に自然の変化を眺めながら一緒に過ごせたら…そう思っていただけに、曽良のいなくなった部屋はとても寒く、寂しく思えた。
「曽良くん、どこ行っちゃったんだろうね…」
ずっと持っていたマーフィーをぎゅっと握り締めて、芭蕉は寂しそうに呟く。先程までは綺麗だと思った降りしきる雪も、今では芭蕉の落ち込みを増長させるだけだった。
「ん…あれ?」
ふと視界の隅に映った白の中でゆれる黒。芭蕉が視線を空から地面の方へ移すと、しゃがみこんで何かしている曽良の姿が見えた。
「曽良くん、だよね?何やって…あっ!」
確認するように独り言を言いながら曽良の手元を見て理解した芭蕉は、嬉しそうに笑って自分も部屋を飛び出した。
急いで部屋から見える庭まで駆けて行く。
「曽良くんっ!」
外は思った以上に寒く、吐く息は雪と同じように白く変わったが芭蕉はそんなことお構い無しに大きな声で曽良を呼んだ。
曽良はその声を聞いて一瞬嫌そうな顔を見せたが、すぐに無表情に戻して振り返る。
「何ですか、この寒い中ウザイくらいテンションが高いですね。」
「それ!その雪だるまさ、前に私が作って見せた奴だよね!?ここにも同じものあったんだ?」
曽良がいつものように声をかけても、芭蕉は喜びの方が勝っているのか曽良の足元にある小さな雪だるまを指差して問いかけてきた。
旅に出る前、雪の積もった芭蕉庵でそこにある植物を使って作った雪だるま。曽良の足元にはそれとまったく同じように目や口がついた雪だるまがいた。
「ちゃんと見ててくれたんだね!ありがと、曽良くん!」
「何の話ですか。これは庭を見ていたときにたまたま見つけただけですよ。」
「『君火を焚け よきもの見せん 雪まるげ』」
言ってもシラを切ろうとする曽良に、芭蕉はあの時と同じ句を口にする。曽良が動きを止めた。
「私、今度は曽良くんから見せて欲しいな。」
「…とりあえず、こんな寒いところにいつまでも居たくないので部屋に戻りますよ芭蕉さん。」
にっこり笑って芭蕉が言うと、曽良はため息混じりに答えてさっさと部屋に向かって歩き出してしまった。
けれど今度は芭蕉に合わせたゆっくりとした速度。それがますます嬉しくて、芭蕉は終始笑顔で曽良の後を追う。
一日中そばにいてくれるなら…他に目移りしないというのなら…
聖なる夜はあなたに捧ぐ。
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思いつきでやってはいけないと激しく後悔しております。
メリークリスマス!
ボーっとしていたら浮かんできた小話を文章にしてみたら止まるわ止まるわ…。しかもあんまりクリスマス関係なかったって言うね。
とにかく、特別な日はお互い一緒に居たいんだよ!ということでひとつ…
ありがとうございました。